この出来事について/寺内定夫

わずか四歳のあやちゃんの感性は、この衝撃的な出来事をどのように受けとめたでしょうか。その心のうちをかってに探るのはためらわれますが、痛みを分かち合いたいと願うおとなの気持と許してもらえば、このようなことではなかったかと思われます。

人は一生の間に、あやちゃんが受けたような衝撃的な出来事に、何度ぐらい出会うものなのでしょうか。おとなでさえ声を失うほどのショックを、幼い子どもが経験し、健気にもそのつらさに耐えている様子には、こちらの身が引きしまる思いがします。けれども、この衝撃的な出会いと葛藤が、人間形成にとってかけがえのない経験になることも、見逃せない事実であろうと思われます。喜びの感情なら表にあらわさずにはおれないでしょうし、つらさや悲しみなら身近な人に訴えたいでしょうが、あやちゃんは園庭の隅にひとりでしゃがみこんでいました。言いたいことも言葉にならず、この衝撃をひとりぼっちの世界で受けとめていました。私はあやちゃんに直接会ったわけではありません。けれども私にも挫かれた経験があって、あやちゃんの感性がびんびんと伝わってきました。その時は心の痛みのあとの孤独感がまわりの人の姿を見失わせ、まるで金縛りにあったように、その孤独感から抜け出せなかったことが忘れられません。


動物が死んだらまた買えばいい、ネコに殺されたんだからしょうがないとしか考えられない子もいます。ましてあやちゃんはまだ四歳、この場から逃げだしても不思議ではない。しかしあやちゃんが逃げも隠れもできなかったのは、ウサギの死という現実を真っ正面から受けとめた感性が、ひとりぼっちの葛藤に自らを誘いこんだからではないでしょうか。そしてあやちゃんは葛藤のつらさの中で、挫けそうな自分を一つ克服しました。ウサギのなきがらに手をそっとのせ、小さな声で「さよなら」と言えたからです。幼い子どもにとって死の認識は、たいへんむずかしいものだと思います。生命のしくみを理解するには、たくさんの知識が必要でしょうし、死と出会う経験もまだ少ないからです。また、たとえ身近な人の死に出会ったとしても、幼な子にショックを与えまいとするおとなの配慮が、死を生命の異変というより、生活の変化と受けとめさせることが多いでしょう。

死はむごいというより淋しさなのです。子どもが飼っている動物のことですら、動物病院に送り届けた先の死は見せないおとながふえました。ウサギや小烏が死んでも、また買えばいいと考える子どもがいるのは、ペットの生死が人間の生活変化としか意識できないからです。小さな生命についてのおとなの痛切な悲しみの感情が、子どもに伝わっていないからかもしれません。しかしあやちゃんの死との出会いは衝撃的でした。それはウサギの生命の異変を、目の前で見つめねばならなかったからです。しかも前もって得ていた知識とほど遠く、突然に実感させられた死のむごさでした。おそらくあやちゃんは生命あるものの異変を目撃したことで、日常生活の感覚や感情が根底から崩れたことを直感したことでしょう。初めて見たむごたらしい姿に、五感が凍りついたかもしれません。


みんなの騒ぎかたも、友だちのケンカなどとはまったく違う雰囲気に、異常な不安感を抱いたはずです。しかしなんと言っても、呼んでも動かない、おしゃべりしても返事をしてくれないキヨちゃんに、大きなショックを受けています。一時間ほど前に抱いておしゃべりしたキヨちゃんが、ぬくもりを失って横たわっている現実に、彼女はこれまでのウサギを抱いた生活感覚が、抜け落ちていくのを実感したに違いありません。あやちゃんはキヨちゃんのなきがらに、静かに手をふれています。その手が死を生命の異変として、はっきりと実感したに違いありません。

そして先生に誘われて「さよなら」と言った別れの言葉が、保育園の帰りに友だちや先生に言うのとまったく違う感情がこもることを、理屈ではなく感覚的にとらえたことでしょう。手の感触と言葉の響きが、あやちゃんの心に生命の本質を一つ刻んだのではないでしょうか。

ウサギのキヨちゃんが死んだのはネコのせいだと、あやちゃんはしっかり認識できたでしょうか。あやちゃんにしてみれば、ネコもウサギもみんな仲のよい友だちのはずだからです。トラもタマも同じネコであり、どちらもあやちゃんに抱かれて喜んでいたと思っていたのですから、ウサギをいじめたり殺したりすることなど考えたこともなかったでしょう。


子どもたちは絵本やお話の中で、クマと人間が仲よしであったり、ライオンとウサギがいっしょに生活する場面に出会うことがあります。実際におとなは、好んでそういう話を子どもに聞かせてきたように思います。動物を擬人化することで、おとなの価値観を伝えやすくしたり、自然や動物への関心を深めさせたりするのです。幼な子にとっては肉食の猛獣すらも、牙を向けない優しい動物でした。また偶然にもトラはキヨちゃんのそばにいながら、攻撃したことがなかったというのも、あやちゃんの気持を支えていました。

けれどもネコはウサギと仲がよく、いじめたり殺したりしないという認識は、決して正しいとは言えません。動物の本性を見誤っています。それは認識ではなく、気ままな人間の感情です。とは言え、そのような感情こそ、人と動物をつなぎ、生命の大事さを守る生活力や人格の本質にかかわるものです。それは優しさの土壌ともなりました。

しかし幼い子どもの一瞬のスキをついて、ネコは動物の本性をむきだしにしました。それはネコの正当な行動でしたが、人とウサギとネコが共に生きていると確信していたあやちゃんにとっては、許しがたいネコの裏切り行為と言えました。正しい認識をもたない感情の悲劇と言えます。共に生きる者たちにとって、つねに大切にされる優しさの裏側に、思いがけない危険が隠されていたわけです。優しさと間違い認識が引き起こす生活葛藤が、子どもの心と知恵の成長を、いっそう確かなものにしていくのかもしれません。


「アヤチャンガ、ヤッタンダ」「アヤチャンガ、コロシチャッタンダ」あやちゃんに五歳児の激しい非難の声が、繰り返し浴びせられたのに、あやちゃんは一言も反論も弁解もしませんでした。もとはと言えば、ウサギのキヨちゃんはネコの裏切リで死んだのです。それなのに思いもかけない非難の声を浴びた衝撃は、幼い心をズタズタに引き裂いてしまったに違いありません。その衝撃的な出来事からあやちゃんは逃げだせずにいました。悔しかったでしょうし、悲しかったでしょうに、あやちゃんはじっと耐えていました。

幼いあやちゃんの心のうちは、あれやこれやの思いが錯綜し、ごちゃごちゃになっていたかもしれません。しかしいくら責められようとも、ウサギを殺したのは自分じゃないという反発はなかったでしょうか。どうしてそんなに私をいじめるのという抗議の気持や、腹立たしい気持はなかったのでしょうか。

あやちゃんは園庭の隅にひとりでしゃがみこんでしまい、先生がどう慰めても黙ってうなずきながら、ただただ泣くばかりでした。どうして先生にもっと訴えたり頼ったりしなかったのでしょうか。あやちゃんはわざわざ、つらいひとりぼっちの世界に閉じこもったように見えます。恐ろしくてからだが震え、いやでいやで耳をふさぎたい気持と、キヨちゃんをかわいそうに思う気持とで、立っていることも精いっぱいだったのかもしれません。そのうえに五歳児の鋭く厳しい口調の責め言葉が、遠慮会釈なく降りそそがれたのです。


ふだんの生活で「ダメ、キライ、へタクソ」などという批判や否定の言葉に対しては、子どもたちは言い返したりケンカも辞さない反発をします。しかしあやちゃんの場合は、ウサギ小屋にネコを連れて行った事実の自覚があって、心の傷がますます深く広がったのではないでしょうか。あやちゃんは、ひとりぼっちになりたくてなったのではないと思います。ウサギの死というショックがあやちゃんを孤独にさせました。ウサギとままごとをして遊んだあやちゃんのひそかな世界について、だれにも伝えようがなかったのではないでしょうか。たとえ優しく助けに来てくれた先生でも、響き合えないことを直感しています。

おそらく幼いあやちゃんは、どうにもならないからだの震えにおびえながら、ひとりぼっちの淋しさと闘っていました。他の人から見れば、じっとうつむいているだけのように見えたでしょうが、心のうちは孤独の淋しさに耐えに耐え、そこから脱出して立ち直る自分の再生を侍っていたのです。

あやちゃんは孤独に耐え抜きました。生れて初めて出会ったほどの衝撃的なつらさを味わいながら、立ち直りました。ついにウサギのなきがらから目をそらさないで、そっとウサギにさわり「さよなら」が言えました。孤独から逃げないで孤独に打ち勝ちました。そしてネコのタマには、口で叱っただけでした。襲いかかった非難にも、とうとう口答えしませんでした。おそらく、あやちゃんの心は澄みきったものだったのではないでしょうか。挫折のあとで芽生えたものは清らかな魂でした。


あやちゃんは訳を知った先生にしっかりと抱かれ、慰められ支えられていました。友だちのけいちゃんにもそっと手を握られ、言葉はなくても元気づけられていました。それがあやちゃんを立ち直らせたかけがえもない力であったことは確かです。けれどもあやちゃんを立ち直らせたもう一つの力は、あやちゃん自身の「抱く感性」ではなかったかと思います。

子どもが飼っている動物に深く心を寄せるようになるのは、エサづくりや小屋掃除などの苦労の多い世話を積み重ねていくからです。しかしまだそのような仕事が十分にできない年頃では、動物を抱くことでコミュニケーションを育てています。

動物を抱くのは、可愛いいので思わず抱きたくなってしまうのです。けれども抱きたいからといって、こちらのかってな思いで抱いてしまうと、相手が嫌がって逃げだすこともあります。どこか居心地が悪いのでしょうか。

ネコは抱いてくれる人を選ぶといいます。抱かれ心地がいいかどうかというより、抱かれたい時に抱いてくれる人がいいのでしょう。ネコは抱かれたくないのに人が無理に抱こうとすれば、手をひっかいて逃げだします。動物にだって、我慢の限界があるのではないでしょうか。

相手が喜ぶように抱く、それが抱く時の心得と言えます。その要領を三つあげます。

・相手の気持に寄り添うように抱く

・ゆったりと、しかもしっかりと抱く

・手よりも、ほほえみで包みこむように抱く


絵本研究家の市村久子さんが保育者だった項、幼稚園でのウサギ飼育の実践報告がありました。ふだんから動作の荒い子どもでも、ウサギの赤ちゃんを抱くと人が変わるというのです。一人の時は立ち乗りでブランコを大揺れにこぐ子でも、ウサギの赤ちゃんを抱いて乗る時は、座って小さく静かにこぐ。スベリ台も同じで、ウサギの赤ちゃんを抱いたら絶対に砂をまいて滑ることはしなかったそうです。動物飼育の経験が、優しい抱きかたを自然に工夫させたのでしょう。

生活科が始まって、ザリガニとウサギの飼育がさっそくふえていますが、幼児期に動物飼育の経験がない子どもたちは、ウサギの赤ちゃんを遊ばせようとして、友だちから友だちへボールのように投げているという話しさえあります。学校でウサギを飼えないからレンタルウサギはないかという問い合わせもあるほどですから、抱く感性を育てるのは容易なことではなさそうです。

結局、相手が喜ぶように抱くというのは、相手の心と響き合うということなのでしょうか。抱く時は両腕が主役のように見えますが、ほほえみで包み、心と響き合わせるものだとすれば、手や腕は主役ではないのかもしれません。むしろ相手が喜ぶのは、心の抱擁なのではないでしょうか。

あやちゃんはネコのトラを抱き、タマを抱き、ウサギのキヨちゃんを抱いていました。動物たちを抱いたのは、言葉以上にコミュニケーションがもてたからでしょう。小さな動物の生命を、わが身で包みこむことは、あやちゃんのもっとも積極約なかかわりかただったのです。どういう時に抱くと喜ぶか、どういう抱きかたがいいのか、腕の力の入れぐあいや、手のさすりかたなども、いつのまにか自分で納得のいくものを身につけていたのではないでしょうか。


人間が動物を可愛がるのは、その本性にかなわないことが多いでしょうが、動物が嫌ったことはしないように心を配りながら、毎日少しずつ人と動物のつながりを深めています。そのように相手を抱くのは、相手の心地よさや安心感を探ることから始まります。そこに互いの生命が響き合うよりどころをつくるのが、抱くという行為なのでしょうか。

「抱く感性」は信頼関係を生むセンスと言えるかもしれません。その感性が、共に生きる喜びを育てるからです。それゆえ、あやちゃんは「ネコの裏切り」が、とても信じられなかったことでしょう。ネコがウサギを殺すはずがないという確信は、ウサギと二匹のネコを抱き続けてきたあやちゃんの「抱く感性」のたまものでした。

ネコはウサギを殺さないというような理性的認識の不成熟が、幼い子どもの心を育て、激しい葛藤から立ち直らせたように思われてなりません。言ってみれば非科学的な認識が、子どもの優しさと信念を培ったのです。おそらく子どもは、その後の度重なる裏切りを経験して、生きるものの心情と科学をつなぎ、人としての英知を磨くのでしょう。


この記録後のあやちゃんの生活について、実践者の大町弘子先生はこう語っています。

「キヨちゃんはあやちゃんだけでなく、保育園の子どもたちの宝ものであったし、職員もみんなで可愛がっていました。むろん無言でそれらの事実を、あやちゃんは受けとめていました。同じクラスの子どもたちは、あやちゃんがだれよりもキヨちゃんを可愛がっていた事実と、あやちゃんを通して自分たちもキヨちゃんと仲よくしていたことを知っていたためか、あやちゃんを責めたりしませんでした。それが何よりの救いでした。

また前年の秋口からあやちゃんと仲よくなり、この頃は互いに信頼し合っていたけいちゃんが、保育者と同じように無言ながらも、彼女の気持を慰めてくれたことは、あやちゃんの気持を大きく救っていました。

あやちゃんの親には、あやちゃんの気持を前堤にしながらも、事実を伝えました。このため親のショックも大きかったでしょうが、わだかまりなく理解してもらえました。その後も、この時をきっかけとして、子どもの生活や遊びについて語り合っています。あやちゃんは父親に連れられて、横浜の野毛山動物園に行きました。この出来事からあやちゃんを立ち直らせようと願った父親の愛情でしたが、あやちゃんはとうとう、ウサギ小屋には近づこうとしなかったようです。しかしその後、あやちゃんはすっかり動物好きの子になりました。

年長児には年長児の葛藤がありました。二月の生活発表会では『キヨちゃんの思い出』という紙芝居を、各自一場面ずつ担当した大作を作って発表しました。キヨちゃんの思い出を大切にしたこのような活動を通して、キヨちゃんを可愛がっていたあやちゃんの存在を認めてくれたのか、自然と許していってくれました。この紙芝居の発表を、あやちゃんは静かにじっと見ていました。その瞳の中に、大きく成長したものを感じとれました」


/以上は「さよならウサギ」(寺内定夫・著/すずき出版・発行)からの転載です。快くこのホームページへの転載をお許しくださいました寺内定夫先生および、すずき出版ならびに、貴重な記録を転載させていただいた大町弘子先生に感謝いたします。(のぞみ幼稚園 園長 樫村文夫)

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「この文章は、寺内定夫先生および、すずき出版の許諾を受けて転載したものです。著者ならびに発行所に無断で複製、翻案、翻訳、送信、頒布する等の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。」

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